Arai Koh's Create Life

シナリオライター・アライコウのブログ。創作、新旧のインディーゲームなどについて書きます。

『デイグラシアの羅針盤』レビュー後編――正解のない考察、されど意味はある

スポンサードリンク

同人誌、同人ゲーム、同人ソフトのダウンロードショップ - DLsite.com

※ネタバレを含みますので、未プレイの方はご注意ください。

 

※未読の方はこちらからどうぞ。

『デイグラシアの羅針盤』レビュー前編――最悪ではあってもバッドエンドではない


 前編で「選択肢とは主人公に強制的にミスをさせる機構」と書いた。
 プレイヤーの操作と選択が、主人公と周辺の人々の運命を司る。それゆえのノベルゲームである。

 しかし結局のところ、真に彼らの運命を司っているのは――当たり前のようだが作品世界の神たる制作者だ。プレイヤーが選ぶ選択肢など、制作者が与えている権限のひとつにすぎない。それを超えてノベルゲームを楽しむことは、通常はできない。
 そういう意味では、当ブログのレビューにおいてたびたび引き合いに出している『ひぐらしのなく頃に』は、つくづく画期的だった。選択肢はなく、正解を提示しない。解答編が出るまでの間、ゲーム外で自由に推理させることでプレイヤーを楽しませていた。
 そして正解のないノベルゲームと謳う『デイグラシアの羅針盤』は、コンプリート後も議論されるような、意欲的な構成となっているのだ。

f:id:araicreate:20181113205331p:plain

第二ルート後にタイトル画面が変わり、より不穏な展開を暗示する。

 

 最終の第三ルートは、後述するが従来のノベルゲームを紐解いても前例はあまりないだろう、少々特殊なプロセスを経て入ることができる。
 曖昧だった主人公の秘密がはっきりし、さらにこれまで秘められていた、とあるキャラクターの謎がすべて解明される――これらはもちろん重要なファクターなのだが、『デイグラシアの羅針盤』という作品の本質はそこではない。

 第一、第二ルートは主人公の記憶と残された記録をもとにしたシミュレーションという形で“事実”が紡がれる。途中に変化はあるにせよ、生き残るのは2名のみという事実に向かい、一本道のストーリーが展開されていく。
 しかし第三ルートは同じく一本道ではあるのだが、それ以上の生存者がいるというエンディングを迎えている。しかしこれも他のルートと同様に決定的な喪失を内包しており、ハッピーエンド至上主義者であれば呆然としてしまいかねない、正解とは到底認められない結末になっている。
 プレイヤーはここで本当の意味で「正解のないノベルゲーム」という本作の主題に直面することになるのだ。難解な世界観やストーリーのために深い考察が要求されるノベルゲームは珍しくないが、本作はそれとはまったくベクトルの違う考察をしなければならない。
 すなわち、いずれも正解でないのならば、そのシナリオの意味はどこにあるのか。


 あらためて確認すると第一、第二ルートが本作における“事実”だ。エンディングでは事故の概要や犠牲者のリストをまとめた報告書をテキストとして流す演出があるが、この両ルートそのものが、変えがたい事実をプレイヤーに伝える報告書と言っていい。
 ではその事実とまるで違う結末を迎える第三ルートとは何なのか? マルチシナリオだから、と単純に片付けることはできない。ここが『デイグラシアの羅針盤』最大の挑戦である。

 通常のノベルゲームは、いずれのエンディングも同じ平面上に存在する。ある地点でルートが枝分かれして、そこから先もさらに分岐することで、マルチエンディングを形成している。
 しかし『デイグラシアの羅針盤』第三ルートは違う。第一、第二ルートを見下ろすがごとき、より上位の階層に独立して存在する。基本ストーリーこそ同じだが、実態は作品世界の神たる制作者が用意した、似て非なる別次元の話になっている。

 第三ルートは、言わば全体が“プレイヤー向けの”シミュレーション世界だ。第一、第二ルートの主人公とは地続きではない。彼がシミュレーションの光景をずっと見ていたように、プレイヤーはそれを見る。
 第二ルートを終えた時点でプレイヤーは、主人公がそもそも最初に過ちを犯していたこと――本名を名乗らなかったことを知っている。主人公が最善を尽くそうと奔走するのは、事故発生以後のこと。それ以前に本名を正しく名乗り信頼を損なわないという当然のことをしていたならば、このようになったかもしれないというIF。それが第三ルートの正体だ。
 主人公の本名を入力する――プレイヤーがシステム的に介入することで、彼の最初の過ちを正す。そして上位階層にジャンプする。ノベルゲームのスタンダード機能のかくも巧みな活用は『Ever17』に比肩するだろう。


 そして――今度こそ真の最善であると見せかけて、ついぞ全員を生還させることがなかったのが、本作の真骨頂である。
 タイトルの由来ともなっているデイ・グラシア号は、無人で漂流しているメアリー・セレスト号を発見した。その奇妙な悲劇によって、本来歴史に残ることなどなかったメアリー・セレストの名は後世に記録された。
 全員が無事に生き残るという、安易でありきたりな結末はない。どのルートも正解ではない、どうあっても犠牲者が出てしまう、生存者を選べるという作品構造が、『デイグラシアの羅針盤』をインディーゲームという大海において、記憶に残る良作になさしめたのだ。


 と、私なりの考察を述べてきたが、もちろんこれが正しいというわけではない。正解のないノベルゲームとは、プレイヤーのあらゆる考察にも正解はないということだ。
 だが正解でないからといって、その考察の楽しみは否定されないだろう。『デイグラシアの羅針盤』の魅力とは、まさにそこにある。