Arai Koh's Create Life

シナリオライター・アライコウのブログ。創作、新旧のインディーゲームなどについて書きます。

『西暦2236年』レビュー後編――わたしを、そしてノベルゲームをフカンするノベルゲーム

スポンサードリンク

同人誌、同人ゲーム、同人ソフトのダウンロードショップ - DLsite.com

※ネタバレを含みますので、未プレイの方はご注意ください。

 

※未読の方はこちらからどうぞ。

『西暦2236年』レビュー前編――変わらぬ風景、変わらぬ人類の未来SF

 

――西暦2236年4月1日
――99通のメールが届いていた
――99通まったく内容が同じそのメールの送り主は……彼女だった。

 前編ではあえて触れなかったが、『西暦2236年』の書き出しはこのようなものだ。大事なことは最初に書くべしというのはノベルゲームの重要テクニックだが、このタイトルであればおよそ考えられる最高の書き出しだろう。

 ヨツバが大学生となった2236年パートにて、再びこのセンテンスがプレイヤーの前に現れる(細かい部分はちょっと違うのだが)。
 かつて目の前から消えてしまった彼女――ハル・シオンからの再びのコンタクト。
 ここからヨツバの物語は本格的に始まる。好きになった女の子を求め、SF的冒険が繰り広げられるのだ。いかにも王道的展開である。
 そしてプレイヤーは、この物語のフィナーレは結ばれた少年少女の幸せな姿であると、誰もが予感するはずだ。恋愛要素を取り入れたノベルゲームであれば、紆余曲折はあってもエンディングはほぼこの様式に則って構成される。誰もがそれを知っている。ヒロインと何らかの理由で離別するという結末の作品もあるが、少数派だろう。
 だから『西暦2236年』も、圧倒的多数派のほうであると思われた――。


 内容不明のメールを解読すべく、ヨツバは卒業以来疎遠だったヒメ先輩の力を借りることになる。彼女に会うのはハルのためだったはずが、どこか揺れてしまうヨツバの心情が、大人になりきれない少年の曖昧さ、危うさを感じさせる。ここでの描写が後の展開に影響を与えることになる。
 ところで本作は、演出面でも類い稀なユニークさを発揮している。

f:id:araicreate:20180819202627p:plain

 ノベルゲームのアクション描写は誰もが頭を悩ませるところで、小説のようにただ躍動感あふれる文を書けばいいわけではない。グラフィックとの兼ね合いや、ワンクリックでどの程度見せるかという計算もしなければならない。
 ならばテキストは最小限で、漫画のように見せればいい――この思い切りのよさには驚いた。もちろんアクション以外のあらゆる描写に活用できるし、実際先のシーンで何度も登場している。ノベルゲームの演出には、まだまだいろんな可能性があるものだと感じ入った。

 パラダイムロスト以前の地球、その記録を唯一残す書籍「アカシック・フォーン」。それらの書籍で埋め尽くされた都市「アーカイブ」。一行はついにそこへ辿り着き、自分たちの生きる宇宙の真実が明らかになる。それまで当然だと思っていた現実が一気に揺らぎ、崩れていく。これがSFの醍醐味のひとつだろう。
 そこからストーリーは3つのルートに分かれる。便宜上「ハルルート」「ヒメルート」「トゥルールート」としよう。最初は強制的にハルルートを辿ることになる。他のルートは最初のルートをクリアしてフラグを立ててから――ノベルゲームでは定番の構造だ。

 ――実は告白すると、このハルルートの結末で私はすっかり満足し、プレイを止めていた。そしてこのレビューを書こうとしていた。
 あろうことか他のルートがあるということを、他所のレビューサイトを見るまで見逃していたのだ。本作にはエンディングリストがないのだが、それも原因だったように思う。『西暦2236年』という物語は、もうこれで終わったのだなと。

 どうしようもない不注意であり錯覚である。こんなプレイヤーはたぶん私だけだろうが、しかし言い訳をさせてもらえるなら、それほどまでに最初のハルルートの結末は、ノベルゲームという媒体が長年培ってきた文法に忠実で、美しかった。もうひとりのヒロインであるヒメのことを忘れてしまうほどに。
 ヨツバは自分自身に巣くっていた問題を解決し、前へと進む。そしてついにハルのもとへ辿り着く。「結ばれた少年少女の幸せな姿」がそこにあった。
 だが作者は「それはそれ」とばかりに、他のルート――他のあり得た現実をさらに提示する。

 ヒメルートは、まだ優しい。困難が予想されるヒロインAを選ばず、すぐ身近にいるヒロインBを選ぶ。特に難解でもない、これまたノベルゲームなら定番の構造だ。
 ヨツバ自身の問題とは大きく離れ、人類の存在価値、世界の無意味さ――本作のコンセプトのひとつとも言うべき、隠されていた面が露わになる。その世界の残酷さの前に、ヒメの弱さもまたさらけ出され、知りたくもなかったことをヨツバは知る。
 最終的には、ヨツバとヒメは互いの気持ちを確かめ合い、共に歩む(あるいは漂流する)という結末に至る。インパクトではハルルートに譲るし、読後感は切ない。しかし幸せの形のひとつには違いなかった。

 そしてトゥルールートは、ハルを求めず、ヒメも追いかけないという選択の果てに入ることができる。
 ここで、2ルートで示されたノベルゲームのお約束は棄却される。

f:id:araicreate:20180819202811p:plain

 本作には「わたしをフカンするノベルゲーム」というコピーが付けられている。
 わたし、とは誰であろうか。素直に解釈すればヒロインのハル・シオンだが、むしろ主人公ヨツバだろう。

 あらゆるシナリオが収められた場所。そこにはすべてのヨツバの、すべての結末がある。彼は他のあり得た現実、自分たちの結末を、まさしく俯瞰する。果てのない確認作業のように――。

 そんな彼を俯瞰しているのが、他ならぬ私たちプレイヤーだ。
 そもそもノベルゲームのプレイとは、作品世界とそこに生きるキャラクターを上位から見つめる、神の視点の行いである。
 プレイヤーはヨツバが最初のルートでハルと結ばれたことを、すでに知っている。しかしそうではない結末を、このトゥルールートで延々と見ていく。
 そしてハルルートの結末は、ふたりの人生の途中までを切り取ったものにすぎなかったと明らかにされる。

 物語には必ずゴールがあり、「幸せな結末を迎えたふたりは、その後も必ず幸せである」と、誰もが疑わない。
 あらゆるエンターテインメントにおけるその常識に、『西暦2236年』は疑問を投げかけた。
 幾星霜の俯瞰の果てに、ヨツバは答えを見つけた。結局のところ、自分はハル・シオンが好きではなかったのだと。

 誰かと結ばれる物語だけが正しい――それを否定する、革新的で実験的なシナリオだ。
 エンディングリストを搭載していないのも、あえてだろう。バッドエンドを含めた各エンディングにナンバリングはせず、序列もつけていない。いずれもが等価値であり、その意味づけは世界を俯瞰するプレイヤーたちにゆだねられる。

 便宜上そう読んでいるトゥルールートだが、「真実」だからと他のルートの上に位置するわけではない。そして「幸せな結末を迎えられなかった少年少女は、その後も必ず不幸せであるとはかぎらない」。
 ハルルートの先にトゥルールートがあったように、トゥルールートにもまた「先はある」。誰も知らない物語がある。アーカイブにも保存されていない、無限の可能性がある。
 そこに、まだ見ぬ彼の幸せを想像することもできるだろう。私はそんな意味を見出した。


 四角い三角形は存在しない。
 ふたりが一緒になれる結末は存在しない。
『西暦2236年』は鮮烈な未来SFであると同時に、何千年もの時をかけて「ないものはない」と突きつけられた少年の悲恋物語だった。
 恋愛ノベルゲームへの挑戦とかアンチテーゼとか、ある種安易な言葉も思い浮かぶ。そうした側面もあるにせよ、こう結論したい。

 ノベルゲームそのものをフカンするノベルゲーム。
 ひとりの少年を起点に、高き空から見下ろすようにノベルゲームの構造そのものを捉え直そうという試み。間違いなく一定の成功を収めていた。