Arai Koh's Create Life

シナリオライター・アライコウのブログ。創作、新旧のインディーゲームなどについて書きます。

『西暦2236年』レビュー前編――変わらぬ風景、変わらぬ人類の未来SF

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 ノベルゲームの傑作・良作はだいたいSFである。

 そもそもSFの定義は――という議論が長年続いているわけだが、日本SFファングループ連合会議による「星雲賞」の受賞作・候補作を見てもわかるように、とにかく幅広い。アニメ『けものフレンズ』のメディア部門受賞には多くの人が驚いたが、確かにSFの要素はあるなと、わりあいすんなり受容しているように思われる。

 こうした広義の意味でのSFは、商業は言うに及ばず同人ノベルゲームにおいても数多くの作品が生み出されてきた。『ひぐらしのなく頃に』が当てはまるだろうし(リアルタイム当時はまったく意識していなかったが)、先日レビューを書き終えた『虚構英雄ジンガイア』も間違いなくそうだ。『月姫』すらこの範疇に入るかもしれない。

 一方で、科学的論理を基盤とした、異世界や魔法的ファンタジーに頼らない、サイエンスに重きを置いた傑作もある。
 ぶらんくのーと『ひまわり』は、類い稀な総合度の宇宙SFで、しかも明快。それまでこのジャンルはまったく親しみがなかった私も、サイエンス・フィクションなるものの面白さを知ることができたのだ。

 しかし『ひまわり』以前も以後も、この系統の作品はさほど多くはなかった。その理由のひとつとして、作品に合った背景素材を用意することが困難だからではないか――という仮説を私は立てている。
 同人ノベルゲーム作者が常に頭を悩ませるのは、背景グラフィックなのだ。ネット上のフリー素材では、宇宙的、未来的、科学的な背景画像をまんべんなく集めるのは厳しい。さりとてオリジナルの背景CGを作るのは、予算の面でもっと難しい。同人と商業の悲しい差がここにある。

 だが、その点を見事に克服した未来SFが誕生していた。今回レビューをお届けする『西暦2236年』である。

 サークルChloroの『西暦2236年』の初出は2015年。R-18でリリースされ、のちにUniversal Editionと銘打ち、新たに英語版を搭載の上で全年齢版に改訂された。それが現在Steamでリリースされている。

 心の素粒子を用いた通信、テレパシーが当たり前の意思疎通手段となっている23世紀。200年前に発生した「パラダイムロスト」により、宇宙の捉え方はそれ以前と大きく変化していた――という舞台設定なのだが、それよりもまず会話が素晴らしい。

ヒメ「記憶よ記憶、メモリーズ。自分の記憶の始まりについて放課後までに考察しておきなさい」

 主人公ヨツバの先輩、ヒロインのひとり「ヒメ」からのリズミカルな問いかけでストーリーは幕を開ける。
 記憶の始まりとは何か――そこからたいして話が広がるわけではないのだが、知的な雰囲気とフェティシズムあふれるこの先輩との愉快な会話は、あまねくプレイヤーの心を捉える。
 そして常にヨツバの側にいる人工知能「マスコ」の存在。本作のマスコットキャラを務める彼女の登場により、SFとしての掴みは十分以上だ。どんなジャンルであれ、まずは愛着の湧くキャラクターがいなければならない。
 なおサイドストーリーとして『西暦2236年の秘書』というフリーゲームが公開されている。マスコがヨツバのもとにやってきたシーンなどが描かれているので、まずはこちらからプレイするのがいいだろう。

www.freem.ne.jp


『西暦2236年』は主に前後半に分かれ、前半はヒメとの会話が主体の2234年、そしてヨツバの人格形成に大きな影響を及ぼした2231年のストーリーが交互に語られる。よってまず論じられるべきは2231年のパートだ。

 新学期、ヨツバはテレパシーをしない「ゲートを閉じた」少女、ハル・シオン(以下シオン)と同じクラスになる。同じくテレパシーをしない転入生シライシの登場、そして廃墟で発見したもうひとりのハル・シオン(以下ハル)が、ヨツバの日常に少しずつ波紋を広げていく――。

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 テレパシーが常識となった結果、音声言語はほとんど使われなくなくなっているという設定が秀逸だ。テレパシーをしないシオンとシライシ、ふたりとの音声での交流は、必然クラス内に微妙な空気を形成する。
 この微妙な空気というやつは、学校生活というやつは、遠い23世紀の未来でも変わらないのだろうか。変わらない、と作者は考えたのだ。

 ここで背景素材が、一連の展開に説得力を持たせる結果になっている。
 本作の背景は、ごく現代的な(つまり21世紀の)写真が用いられている。教室には昔ながらの黒板があり、机と椅子がある。屋外だと極彩色に加工されているが、やはりどこにでもありそうな景色だ。
 たいして都会でもないという設定はあるにせよ、23世紀である。現在から見れば想像もつかないほどの未来。
 そんな時代の背景に、ありふれた21世紀的な写真素材はマッチしているだろうか。しているのだ。

 

 かつて20世紀半ば、人々は21世紀に憧憬を抱いた。子供向けの本には『ドラえもん』で描かれるようなSFチックな未来予想図が並んだ。
 しかし現実はこうだ。都会にあれこれと高層ビルは建ち、コンピューターとインターネットは整備されたものの、風景はそこまで劇的に変化していないし、胸躍るような未知の乗り物など誕生していない。

 だから200年もの先においても、この世界の風景がたいして変わっていなかったとして、別段不思議ではないだろう。23世紀だからと、先に述べたような宇宙的、未来的、科学的に洗練された背景素材で飾り立てては、逆にウソっぽくなってしまうのである。
 この効果を作者が考慮したかどうかはもちろん別だし、そもそも背景素材ありきでシナリオを作ったのではないはずだ。しかしこれが、ひとつの観点を提示するに至っている。
 宇宙の捉え方が変わっても、声を出さずテレパシーで通じ合えるようになっても、AIがどれだけ発達しても、周りの風景同様に、人類の営みは根っこのところではたいして変わらないだろうと。

 ヨツバはクラスメイトの好奇の視線にイライラして、空気の読めないシライシにまたイラついて、ふたりのハル・シオンとの距離を掴みかねながらも徐々に惹かれていく。
 そして少年は少女に恋をして――やがて終わりを迎える。そんな物語も、いつの時代も変わらない。

 嫉妬心、得意でない楽器、シライシの思わぬ秘密、唐突にいなくなってしまう「彼女」。本作は緻密な理論に基づいたSFであることに疑いはないが(テレパシー理論の解説など、実に堂に入ったものだ)、2231年パートは胸痛む思春期を鮮明に描いており、むしろ青春ノベルとして優れている。2234年パートはその痛みを中和する補完的な役割が強いが、それもヒメという得がたいキャラクターあってのものだろう。彼女の卒業シーンはあっさりしたものだが、不思議な寂しささえ覚えた。


 そして物語は2236年へ――つづく