Arai Koh's Create Life

シナリオライター・アライコウのブログ。創作、新旧のインディーゲームなどについて書きます。

『虚構英雄ジンガイア』レビューVol.3――インディーではなく、同人ゲームらしさを求めて

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『虚構英雄ジンガイア』レビュー序論――ノベルゲームの父親不在

『虚構英雄ジンガイア』レビューVol.1――連作ノベルゲームの理想型

『虚構英雄ジンガイア』レビューVol.2――ノベルゲームへのゲーム的アプローチ

 

 1997年リリースの『ToHeart』を開祖とする恋愛ビジュアルノベルの流れは、さまざまに形を変えながら、今も絶えることはない。
 青春と恋。これからも美少女ゲームの主要ジャンルであり続けるだろうし、そもそも恋愛要素のまったくないノベルゲームなど、探すのは非常に難しい。

 だから異世界SFロボットものと思われていた『ジンガイア』にもそれがあったとして、何ら驚くようなことはない。
 いや、正直に言うと驚いた。
 英雄と鳴海は夫婦である。当然ふたりには出会いがあったのだが、まさかそれを持ってくるとは。
 父親がノベルゲームの主人公であることの意義、その一端を『ジンガイア』は見せてくれているが、かつてあった青春時代を描くことで、父親としてあるべき姿を再確認する――その見せ方の巧みさに驚かされたのだ。

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ほんのわずかだけ挿入される、青空と桜の背景写真。絶妙なチョイスと言わざるを得ない。

 ともあれVol.3は、それまでとガラッと空気を変える。作者は何もためらわず、異世界SFロボットを一時封印した。来たるべきクライマックスの土台を築くため、登場人物たちのバックボーンを掘り下げることに主軸を置いてきた。
 Vol.2では少年Aの視点がたびたび挟まったが、Vol.3は英雄含め、さらに多数のキャラクター視点で描写される。今度は彼、次は彼女、その次は別の彼と繰り返していく。

 もしこれが商業作品なら、もう少し整理すべきと言われるかもしれない。しかし書きたいように書けばよい、というアマチュアの特権がここでは発揮されている。小綺麗に整理してはダメだ、こう書くべきだ、この順序で見せなければならないのだという熱が込められている。その姿勢を全肯定したい。

 

 誰もが己の人生に懸命だった。その生き様は皆価値あるものだった。たとえ意義あることを為さなくても。どんなに苦しくても。
 苦しさの基準が人それぞれ違うのは言うまでもない。しかし私がもっとも感情移入できたのは、最川省吾だった。

 Vol.1から登場している彼だが、英雄たちと同じようになぜか謎の世界に巻き込まれたという以上のことは、ほとんど不明のままだった。
 そんな省吾の明かされた半生とは――力なき平凡な一般人のそれだった。

 特別な才はない、どう生きるかに苦悩し、そしてゲームが好きな少年の物語。そう、ここでもゲームが大きく関わってくる。前回の記事でも触れた、ノベルゲームだからこそのアプローチ。彼の物語はノベルゲームだからこそ、いっそう印象強くなっている。
 弱くともあがき、内に閉じこもることもあれど、必死に生きようとする。英雄とは類似点が多々あると言えるだろう。『ジンガイア』はジャンルとしてはSFだが、彼らのような何者でもない人間と、そのひたむきさを活写する現代劇としても、見事な力作といえる。


 世界観もかなりのところが見えてくる。英雄や省吾がただ目の前の現実を生きる一方、それまで影も形も見せなかった新キャラクターが、秘められた作品世界に切り込み解明せんとするのが面白い。
 かつて私は同人ゲーム界におけるSFアドベンチャーの金字塔『ひまわり』をプレイして、「SFとはこれほど面白いのか」と衝撃を受けたのだが、『ジンガイア』もそれに匹敵していた。既存の理論を大胆にアレンジし、独自のファンタジーをからめたその設定は、実に巧みだ。
 何度も読み返し、理解したくなる。そしてそれを語るキャラクターも魅力的である――SFに求められるのは、やはりこれだろう。

 めまぐるしく描かれる出会いと別れ、世界の正体。その果てに、キャラクターたちの物語はひとつに収束していく。こう繋がるのか! とちりばめられた伏線が盛大な勢いで回収されていく様には感嘆せざるを得なかった。
 そして、終わりの始まりが訪れる。
 すべては前座にすぎなかった。プロローグからここまで、長い長い助走だったのだ。まだ大風呂敷を広げようという作者の腕力には、ただただ驚かされるばかりである。


 さて、シナリオや世界観とはまた別に――作者はひとつのこだわりを本作に色濃く反映させていた。これこそ『ジンガイア』のもっとも特異な点であり、語られるべき点だろう。
 作者はブログでこのような発言をしている。

bakasukablog.bakasuka.boy.jp

即売会以外での頒布は作品内容上"ありえない"。

 つまりこのことがストーリー上、密接に関わるということだ。このような同人ゲームを私は他に知らないし、おそらく他の例はないだろう。
 スマホゲーム全盛であり、PCゲームもSteamをはじめとするダウンロードストアが拡大してきた。そんなご時世にメディアにパッケージして、即売会だけで頒布する――アマチュアクリエイターの矜持。
 即売会という場所が好きで仕方がなく、むしろそこでリリースする以外は考えられない。そんな作者の熱量が、唯一無二の演出として具現化した。『ジンガイア』は記事執筆現在、公式の入手手段はない。もしも将来別の手段でリリースされることがあっても、この演出は修正を余儀なくされるという。
 だから申し訳ないのだが、本レビューを読んだ方が『ジンガイア』をプレイしたくなったとしても、このシーンを体験できる保証はない。

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『ひぐらしのなく頃に』は夏冬のコミックマーケットに合わせて連作リリースし、プレイヤーは多種多様な考察をすることができた。「次が出るまでの間」という時間の流れをプレイヤーの楽しみに組み込むことに成功したのだ。
 対して『ジンガイア』は点である。一期一会の同人即売会、その一点のみにおいて輝きを放つ作品だ。ショップに卸すことも自家通販することもない。多くの人に知ってもらうなら、そうしたほうがいいのは自明であるにもかかわらず。
 島中を歩いてたまたま見つけて買ってみたら面白かった――作り手とプレイヤーの、そんな出会いこそを喜びとした。
 私が購入した今年5月のコミティアは、ラストチャンスだった。その最後のポイントでこの作品にようやく出会えたことを、心から嬉しく思っている。

 インディーゲームという言葉は、この数年ですっかり浸透した。
 同人ゲームとの境界は曖昧だと言われる。当ブログではフリーゲームも同人ゲームも、便宜上インディーゲームとカテゴライズしてはいるが、『ジンガイア』はやはり同人ゲームと呼ぶのが適切だろう。何しろインディー即売会などという言葉はないのだから。

 そして作者は、ついにFINALを世に出した。 ⇒続く